キイロなる低血圧

《30代の処女、ここにいますけど何か?》

恋愛祈願と父親話

昨日、職場帰りにお参りしに行きました。


祈願したのは恋愛です。






信頼できるひとを見つけてみたい。そして、そんなひとと安心してずっと結ばれていたい



最近、そうゆうことをよく思うようになりました。





今までどこか心の奥深くに《人間を信じていたら痛い目にあう》と言った、固定概念を作り上げていってしまったのかもしれません。






恋愛以外においての人間関係もですが、特に異性で気になる部分は


このひとは怒ったときに、【どんな怒りをあらわにするのか?】ということです。



身の危険を感じるような怒り方をするひととは、本能的にさけてきたのかもしれません。




実を言うと…わたしの父親は、普段は子供を可愛がったり・心配したりするところも持っているのですが、子供の頃から《怒ると手に負えない》感じでした。



基本的に古い考えのひとで、子供は親に逆らうな!親の意見が全て正しい!と言った具合でした。


父親の言うことを逆らい、一度っ怒りに火をつけてしまうと、すごい剣幕で反論され、怖さで何も返す言葉がでない状態です。食事中だと箸とか飛んできてました。


あとは父親と勉強中。父親の言っていることに理解度が足らないと、だんだんだんだんと、イライラを募らせていき、しまいには「どうして分からないんだ?!」といった流れて、頭を叩かれたりもありました。日常的に暴力ふるわれていた訳ではないし甘いときは甘いので、それゆえに印象に残っちゃってるのかもしれないです。


まぁっとにかく勉強の時間が苦痛でしたし、バカな自分にも嫌気がさしていました。


~そんな時に、姉は救世主となってくれました。父親の怒りを横目に、温かく勉強を見守ってくれたのです。あの頃の姉の存在は、天使みたいな【救い】に見えました。~





話が姉話になりそうなので戻しますが、母にもそうでした。怒るとですが、俺の言ったことが間違ってるとでも言うのか?!といった感じの強い口調でビビらせ、萎縮させてる部分もあり、母が畳の隅で泣いていたことも何度もありました。



いつものようにちょっとしたことで父親が烈火のごとく怒りに燃え…



たった一度だけ、母の口から「もう疲れた。死にたい」という言葉がポロっと出ました。

それは小学生の時でしたが、とてもショックだったのを思い出します。母が本当に死んだらどうしよう?っと考えただけで、怖くて苦しくて悲しくて恐ろしかったです。そこには、紛れもなく「一人にしないで」と言った苛立ちもありました。


数年して、母は当時のことを振り返ってましたが…本人いわく、少し鬱っぽかったの…と教えてくれました。



今になってようやく


父親も年齢とともに今じゃだいぶ丸くはなったよね~


とは、母と話すようになりましたが、相変わらず店先や運転などはクレーマー気質で、家族としても恥ずかしい気分になってしまうこともあります。



ギャンブルや女や酒などに一切狂うこともなく、コツコツと真面目に家族のために頑張り働いている、よい面も持った父親。父親の家庭環境や、不器用さも考えてみると、これからはもうちょっと父親に優しくしてかないと、とは思うのですが



どうにもこうにも、優しくなれない部分があって、


遅くきた反抗期みたいに反発しながら生活したりしています。


お金の面でも養われてる状態なので、まずは自立からなんだろうけど、

わたしも甘ったれで親離れも出来てないし、そんな状態で恋愛したいとか夢描いている時点で、


おとぎ話になっちゃうのかな~。





父親みたいな、恐怖を感じる怒り方をする彼氏は絶対イヤです(笑)





恋愛の神様、見守ってください。