キイロなる低血圧

《30代の処女、ここにいますけど何か?》

ステレオタイプ

ステレオタイプ思考とは、レッテルや固定概念にとらわれて考え方が決まっている人のこと。



たとえば、「血液型がB型の人は自己中である」や「日本人は几帳面だ」、「保育士は女性の仕事、保育士は優しい」、「男性は力強い・女性は家庭的で子供好き」、「黒人の人はバスケットボールがうまい」「沖縄人は時間にルーズ」「大阪人はおしゃべりで面白い」「転職数が多い人は飽きっぽい」などである。





果たして、本当にそうなんだろうか?



・自己中の部分なんて、誰だってあるんじゃないのかな?周りにはだらしない人だって、いるでしょう?
・保育士だって、イクメンのように男性がやったっていいじゃないか。もはや、女性の仕事だとか言っていたら今じゃ男女差別にあたるだろう。
・女性はみんな子供好きなんて夢物語だし、結婚=子供と決めるのも違うと思う。子供が欲しくても産めない人もいれば、子供が欲しくなくて産まない人も知っている。
・前にテレビ番組で、県民の特徴を面白おかしくやっていたけど、違和感だらけだった。実際、わたしの住んでいる ○○市民と隣に位置する○○市民が対立しているなんて流れてたけど、そんなこと考えてもいなかった内容で、呆然と見て、別のチャンネルをまわしてしまったっけ。









先日、職場で家族構成の話しになった。

わたしには、かなり年の離れた姉がいる。ただ、あまり話したくはない。なぜか?


それは、年の離れた姉がいるとあかすと、さぞや可愛がられたでしょう?と言われることが多いからだ。姉から、家族から、あなたは愛情いっぱいに育てられたんだろう?、いいな!といった好奇な視線。



家族構成だけで、育てられ方が推測される…。そんな時、心の中に冷たい風がサッとふく気分がして、たまらなくなる。言いたくなかった、と思う瞬間でもある。







姉だから兄だから、しっかり者。妹だから弟だから、わがまま。(中間の子は、変わり者でかまってちゃん。)






決めつけるのは簡単だ。レッテルを貼っておけば、それでおしまい、安心だ。









だけど、相手を知りたいと思うなら、それは間違いだ。



人間には、色んな側面がある。得意なこともあれば、苦手なこともある。良い面もあれば、嫌な面もある。純粋で透明な心もあれば、ドロドロに毒づいた汚れた心もある。


そして、それは日々の中で、移ろっていくものなんじゃないだろうか?



こうゆう風になりたい。あんな人になりたい。成長してみたい。



色んな自分を、ある意味嫌でも受け入れながら。











ステレオタイプ思考にとらわれないように、相手のあるがままを見れるように。そんな人になりたい。