キイロなる低血圧

《30代の処女、ここにいますけど何か?》

ひとはひとで苦しみ、ひとはひとで救われる

ずっと、ずっと、ずっと…【不安や怖さや緊張】と戦い続けていた。





それがだんだんと増してきて、窮屈で息苦しくなって、もうどうにもならなくなって、逃げてばかりだった。






このまま、どうなっちゃうんだろう?



本気でそう思っていた。




自分が嫌いでどうしようもなかったし、そんな自分を見る周りの目にも希望なんて少しも持てなかった。






呆れられないように、失望されないように



ビクビクしながら、とにかく頑張っていたんだと思う。





たとえ、誰かに褒められても、素直に受け止められず、これはまぐれなんだ、そんなことはない、と心の深い根の部分では否定の気持ちが強かった。




そんなわたしを変えてくれた人、その人と逢えたこと、それこそが今年(2020)の一番の出来事である。





その人が居なかったら、永遠とまた悩み・傷つき・転職の繰り返しを続けていたかもしれない。そして、路頭に迷い続きもがいていたのかもしれない。




気が重くて話したい気持ちが持てず、その人と文章で何度かやり取りをすることになった時、自分がいかに出来損ないかと中心に送っていたと思う。



その人からも文が届いた。「お互い自然体でいられたらいいですね」と、まるで今までを見透かされたような一文だった。



その人は言った。責めることもなく、純粋にただ聴こうとしてくれた。なんでも話していいんだよ!ってその言葉とその気持ちは、冷えきった氷のような心をじんわりと溶かしていくようだった。





泣きながら、いや、もうむせかえり嗚咽をしながら、ぐちゃぐちゃにボロボロになりながらも、ポツ…ポツ…と割れた欠片を拾うかのように伝えてみた。




この人なら、変な自分もさらけ出してもいいのではないかと素直にはじめて思った。




すぐに誰かのせいにしてみたり、常識を唱えたり、人を変えようとしたり、人を操作したり、見返りを求めたり………


そんな溢れかえる世の中に、本当に綺麗なひとに出逢えた、と感じた。






途中、嗚咽が酷すぎて何も話せなくなった時には、自然と去る、その配慮にも振り返れば救われていた。



色々話してみて、一緒になって考えてくれて、それでも変わることなく待ってくれる人。






わたしも、こんなあたたかいハートの持ち主でありたい。


尊敬できる人が身近に居る、その恵まれた環境。




たとえどんな反応が待っていようながこの人には伝えてみてもいいんじゃないか、そう思えた奇跡。



この人が居るなら一生ついていきたい。みなぎるやる気。






『 身の丈でやってみよう、これからは! 』






視界が一気に色彩に満ち広がった一瞬だった。



ドアを思いきってがっと開け放ってみたら、

そこにはキラキラしたほっこりとあたたかい、

充実した日常があったのだ。







これからも悩むことに終わりはないだろう。苦しむこともあるし、行き詰まることもあるだろう。



だけど、わたしはこのキラキラした何かをひとつひとつ集めながら、幸せをかみしめ拾い集めて行きたい。




悩みの数より、キラキラをより多く



最後に、こんな風にわたしの世界を広げてくれた、その人の言葉を忘れずに大切にするために書こう





【こんなダメな自分】



はもう言わない、もう卒業だ♪