・子は親の言うことに従う「べき」
・友達は沢山つくる「べき」
・真面目に過ごす「べき」
・これくらい知ってる「べき」
・ご飯は大量に食べる「べき」
・先輩の言うことはきく「べき」
・髪は、短くする「べき」
・がんばる「べき」
・LINEの返信はすぐにする「べき」
・ストッキングは、はく「べき」
・髪とゴムとバッグの色は黒にする「べき」
・階段を登るときは音をたてないように歩く「べき」
・ピンクと紺色(服)は、一緒に合わせない「べき」
・彼女は彼氏に尽くす「べき」
・辛くても、働く「べき」
・はっきりモノを言う「べき」…
これは、全て今までに色んな場面で実際にわたしがきいてきた「べき」である。
まだまだ掘り出せば山のようにあるだろうけど、書ききれないので辞めとこう。
あなたにとっての「べき」。
「べき」を煩わしく思ったり、「べき」と「べき」とがぶつかり合い、時に衝突や怒りを生む。
そんなわたしもひとの事は言えない。最近「べき」にとらわれて、母にあたってしまった事を思い出した。
母に作ってもらったオムレツを食べていたら、ジャッリっとした音がきこえて、歯でも折れたのかとおびえながら口の中のそのものをとったら大きめの卵の殻だったのだ。(´・ω・`)
卵の殻とか…ありえない…。つい、イラっとしていた。
見ればわかるじゃん?
と言った具合に瞬間的に言い放っていた。
そんなイライラしている自分にイライラしたりして、【悪循環】でしかないことには、後からよく考えてみたらわかることなのにね。
この場合は、
~ 卵の殻は、入らないようにする「べき」~
そう、わたしも「べき」に振り回されている一人なのだ。
うまく卵を割れなかったのかもしれないし、殻が入っていても、考え事をしていて気づかなかったのかもしれない。
そう、誰だって失敗はあるのだ!!
わたしだってそうなのに、ひとに求めすぎている、厳しい目を持っていた事を自覚してハッとした。
そして、つくづく怒りと上手に向き合えるような、心の広い人間になりたいと願うようになった。(もはや熱望である)
もしかしたら気づきとは、引き寄せる力を持っているのだろうか?
何故そんな風に感じたかと言うと、ここ数週間前にテレビで偶然流れていた「怒らない指導法『バレーボール』」という特集をやっていたからである。
その特集を食い入るようにみながら、「怒らないバレーボールの指導者」と「怒るバレーボールの指導者」の違いをずっと考えていた。
というのも、この「怒らない指導者」の境遇が少し似ていて共感がわいたのかもしれない。
わたしも学生の頃、入部した運動部で先輩や先生に怒られることだらけだった。「みんなの足を引っ張るなよ」・「練習ついてこれないなら辞めろよ」・「居るだけで迷惑なんだよ」心がチクチクするような言葉を浴びたりもした。
毎日のように練習は辛いし、先生や先輩にずっと怖がりながら。
日々、自信をすり減らしながらも、それこそ入部した日から、もう引退の日を指折り数えて待ち望んで我慢していた。(部活推薦で入ってしまったので、辞めるわけにはいかないと考えていた)
精神的にも追い込まれていた。これは大袈裟でも何でもなくて待っているこのホームに飛び込んだら楽かもな…なんて頭によぎったこともある。でも、勇気もないし怖くて絶対出来なかった。
《怒られることで、萎縮する》
それは、はるかずっと前から知っていたことだったんだろう。
出来れば怒られたくないし、怒りたくもない。
楽しそうなひとの側に、誰だって居たいものである。
特集では【アンガーマネイジメント】の重要性を語られていた。怒りをコントロールする力。
この資格、とても面白そうな予感♪
ちょっと学んでみようと思う。
今も時代もそう。
・感謝する「べき」
・ワクチンはする「べき」
・出掛け等の楽しい発信は避ける「べき」
法律に触れない限りは、
色んな「べき」にひとをかたどらないほうがいいと思う。
価値観は人によって違う。
十人十色で過ごしたいねっ。